2020.05.08 Friday

生まれてから今日まで

今日は5月8日、ちょうど喜寿を迎える1か月前なので、またぞろ生まれてからの日数を数えてみた。
 
1943 年 6 月 8 日 から数えて
2020 年 5 月 8 日 は、
最初の日を含めて
28,095日

おお二万八千超えたで・・・・
ついでに生まれてからを辿ってみた。

5000日目は
1957 年 2 月 13 日
中学一年から二年になる年、
この年の十月、スプートニクが飛んだ、人類初めての人工衛星。
すごい未来になるなあと思った。
切手を集めていた僕は、さっそくソビエトの記念切手を手に入れた。


10,000 日目 は、
1970 年 10 月 23 日
大阪万博の真っ最中、万博には担任生徒を引率していったほかに、展示館に入りやすい夕方や夜間ににもいって、たくさん記念品を集めた。
まだ、次の年に訪問したナイアガラに住んでいるカナダの人と知り合って、ナイアガラのホテルで再開し、83年に訪問した時には泊めてもらって、ナイアガラ・オン・ザ・レイクという町まで連れて行ったもらった。

15,000 日目 は、
1984 年 7 月 1 日
13年務めた初任校である夢野台高校から、新設校への転任を希望した西宮南高校で4年目、担任を離れ、学年主任を務め始めた年。南高校を希望したのはコンピューターが県下で導入された3校の一つだったから。
前年1983年の夏、研究費をもらってアメリカを単独で研究旅行、英語力に苦労しながらも、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(いまのブラウザの先駆けを開発した学校)コンピューター教育システムPLATO(プレイトー)で有名、シリコンバレーを開くもととなったスタンフォード大学、マウスを開発していたXEROXのPARC(パーク)研究所、当時Apple-LISAを売り出してすぐのAPPLE本社などを訪問、さらには私が1971年に私費で行った西イリノイ大学など、先進的な教育や研究を見せてもらい、またイリノイ州、カリフォルニア州の学校や教育委員会を訪問、その後の私の研究姿勢を決定づけた旅である。

20,000 日目 は、
1998 年 3 月 10 日
武庫川女子大学教育学科に代わって8年め、90年に日米教育会議を始めていたので、避けていた教育学科学生のアメリカ研修旅行に引率でシアトル、オリンピアなど初めてワシントン州に行くことになる年、その後親しく付き合うことになるワシントン州の副官房長官ご一家と初めてであういい機会になった。
 シアトルでMLBのMarinersとニューヨークYankeesが対戦した試合を見に行った。同時ヤンキースにいた伊良部投手が登板した。

25,000 日目は、
2011 年 11 月 17 日
JICAのシニア・ボランティアでサモア教育スポーツ文化省で、SMIPE(スマイプ)という理数科推進プロジェクトをしていた2年目。
この年にサモアに居た私たちは、一年が364日になった。
私たちには2011年12月30日という日が存在しない。
サモアでの経験は、数学・算数教育をより深く考えるいい機会になり、青年海外協力隊で来ていた青年教師たちの協力を得ていい仕事ができた。

サモアでの経験は、アメリカで訪問した20数校に上る学校での経験と合わせ、教育をもう一度考えるいい財産となっている。

 

単に日数を数えることから、ふと思いついてそれぞれを振り返ってみた。

 

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