2025.08.13 Wednesday

中学生程度の英語という概念はない。

 ここ数日イチロー選手のいいニュースが続きましたね。

 彼の英語スピーチを聞いたのはこれで3回目です。ユーモアに富んでいてそれでいて内容のあるいいスピーチでした。

 この英語のスピーチ場面をネットで探しているときに、

「彼のスピーチの英語のレベルはどのくらい?」

「彼のスピーチは。中学生レベル?」

などと言う種類の書き込みがあちこちで見られました。

 「何故そんなことが知りたいのか。」が一つの疑問ですが、さらに言えば、「中学生レベルの英語」とは何を指すのかが、さらに大きな疑問です。

 中学生レベルの英語ってあるのですか??

  いろいろな英語の資格テストがありますが、「中学生レベルの英語」という概念はありません。

 日本で英語を学習するとき、記憶している単語の数がどのくらいかということは、よくありますね。

 仮に「中学校の教科書に出てくる単語はすべて覚えた。」「教科書の英語はすべて理解できる。」としましょう。

 しかしそのこととそれらを使いこなすことは別のことです。

 「その町のことを知りたければ、そこを歩くのがいい方法である。」

 を英文にするとなら、皆さんはどのように書きますか。
 この文に必要な単語はすべて、中学校で習っていますね。

 The best way to know the city is to visit it on foot

しかし、この英文は間違いです。
ロングマンの辞書に、はっきりと間違いであると書いてあります。

英語は、日本語と比べると非常に温理的な言葉です。
そして言葉にはそれがあらわす生活あるいは文化があります。

 会社などで昼休みにお茶の葉が切れていると誰かが言ったときに、「午後に私が買いに行きます」を英文にすると、

 I will buy it in the afternoon.

I am going to buy it in the afternoon.

 これらはどちらも正しい英文ですが、では何が違うのか、全く同じなのか?

 2つの文の個々の単語も中学校で習っています。


 どのようにホリデイ・インに、行こうかな。

はどうでしょう。

 How do I go to the Holiday Inn?

これも間違い。

 果たして「中学校レベルの英語」って何なのか。

 ところで、イチローさんの永久欠番のスピーチで、

NHKは「私はシアトルマリナーズの一員であったことを誇りに思います。」

と訳し、YouTubeのある映像では、

「私はシアトルマリナーであったことを誇りに思います。」
と訳しています。

 これは大リーグの球団名「Marinners」の意味をよく知っている人たちが訳したからで、どちらも正しい。
 つまり球団名の常識を知っているからです。

 言葉は文化背景があります。たとえ中学校で習う単語をすべて覚えても、使う場面の日常や文化背景を知らなければ、なかなか難しいと言えます。


 それは、英検やTOEIC、TOEFLのそれぞれのレベルよりも広い範囲の知識です。

 アメリカの子供たちが好きな本に、
”Goose Bumps”というシリーズがあります。

 単語レベルで言えば2000語も行かないかもしれません。
 しかしわからない言い方がいっぱい出てきます。

 私は、ずいぶん前に、このシリーズで面白い単語(熟語)を学びました。

 duck down

です。なかなか日本の辞書には載っていませんが、
「かがむ」、「うずくまる」といういみで、なるほどと絵(映像)が目に浮かぶようです。

 英語学習は面白いですねぇ・

2025.08.04 Monday

一次情報に目を向けよう。

あれやこれやと思う日々(25年その9)

最近情報を得る手段が増えました。旧来の新聞・テレビ・ラジオと書籍に加えて、インターネットによる様々な公的機関や企業や個人の情報発信いわゆるソーシャルメディア(社会全般にわたっての一人一人が知ることが可能な情報)があり、「何が真実であるのか。」を個人が探すことが可能になりました。

 この状況を言い換えると、我々一人一人の情報処理能力の必要性がかなり重要になったということです。

 この観点からみると、個々人が「伝えられる受け身の情報」ではなく、そもそもの一次情報(発信源)に接しているか、接する努力をしているかが、重要になります。

 例えば、今日の国会中継(予算委員会)を国民のどの程度の人が見たのか、見ようとしたのか。これを結果としてのメディアの総括だけを読んでいては、蓋然的なことしか掴めません。

 よくアンケートによる情報が伝えられますが、アンケートというものはあてにならないことが、次の例でもわかります。

 「投票に行きますか。」に「はい」と答えたアンケートの結果と実際の投票率には、明らかな差があります。

 ずいぶん昔に出版された「統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 」という本があります。
 アンケートを作った人がこの本に書かれているような、「人は状況によって意識的あるいは無意識に嘘をつく。」という観点を考えた設問をしているかが問題です。

 毎年のNHKが発表する「今の政権をどう考えるか」というアンケートの杜撰にはあきれるばかりです。

いつも「ほかの政権より良さそう。」という回答は、答えた人が何を根拠にそう言っているのかが、あまりにもアイマイです。

 われわれ国民は、今の世界情勢を見て、今まで以上に民主主義の大切さを思っているときはないと思います。

 政治の行方を見誤らないためには、我々自身の一次情報を探す努力をするべき時ではないでしょうか。

2025.07.30 Wednesday

石破氏やめろというまえに考えよう

 一つの党が政治のかじ取りをすることが民主主義か?

僕はいまだかって自民党に投票したことはないですが、だからと言って自民党が無くなればいいとは思っていません。

 石橋氏個人に対しても、防衛面では賛成しかねるところもありますが、現在の自民党の中で少数派である氏がよく頑張っていると思います。
 安倍首相と首班争いをした後、地方創生省といういわば端っこに送られても、その勤めに忠実に地方をめぐりそれぞれの意見を聞いて回ったことは評価をしています。

 安部政権では多くの金銭問題がありました。
森とも学園の問題、政治資金に関する問題、統一教会の問題などなど。

 石破氏が首相になって各党との均衡がとれ、その中で他の党も批判するだけではなく具体的な提案をし議論する現状を、民主主義のいい形になっていると考えています。

 消費税に対しても0%にと叫ぶ野党は、財源はどうするのかという提案があまりありません。その説明に責任を持つのは各党です。

大企業を優遇してきた税制を変えるのは、なかなか大変なことです。
各党の支持に直接関わりますからね。
 各議員は自分自身の保守にかかわっていては、いい政治は行えないのです。

 揶揄や批判に明け暮れた野党も、変わりつつあるし、責任を持った情報をもとに提案する党へ変わって行かなければなりません。

 様々な意見をもとに協議し合意して日本をよくしていくことこそ民主主義ですから。

2025.07.29 Tuesday

「石破やめろ」の声にメディアの危うさ

最近のニュースでは石破首相の退任か継続かが党内で議論になっているというものが多くのメディアで取り上げられている。
 私はそこにNHKや民放、各種新聞など多くのメディアの問題点を見ている。
 実際のところ、今回の選挙でなぜ自民党の当選が減ったかという詳細な分析を見たことがない。

 それなしの今の事態、特に自民党内だけではなく、他の各党を含め、自分たちの議員としての保身が背景に見て取れるように思う。
 SNSでは「やめろ」という意見数よりも「続けろ」という意見のほうが多いし、私個人は当選が減った大きな原因は、やはり安部派を中心とする金銭の問題と統一教会の問題など、関わった自民党議員への国民の不信感が大きな要因ではないかと思う。

 これらの点を含め、本当のところ何が原因かを自社で調査し分析するメディアが見つからず、単に流れてくる、いわば一つの政党だけのそれも内部の議員の伝達でしかない。
 そもそも「辞任」を要求している中に、金銭問題に明快に答えていない西村康稔議員(兵庫県選出)など安部派が多いことも問題であろう。彼ら彼女らは、もうそれらの問題はクリアされたと思っているのか、それともさらにうやむやにしようという意図があるのかわからないが。

 現在のメディアの記者たちの、報道意識には恐ろしいほどに問題意識がない。追及心や発想力のなさは、何を求めて報道関係の仕事をしたいと思ったのか。

 正しい情報を集め調査するのは、報道本来の姿ではないのか。
前にも述べた「情報の垂れ流し」や「こたつ記事」をする報道は、メディア機関の無能を意味している。

2025.07.28 Monday

算数・数学で大切なことは、イメージを持たせること(その2)

 小学校、中学校、高校を通して、算数や数学を苦手にしたり、嫌いになったりするのは、教え方の問題である。
 もちろんどの教科にも言えることだが、他の教科は数学分野と比べると、日常生活との距離が近い。
 その点で、算数数学分野は、より具体的なイメージを、教える経過の中で子供たちに持たせることが必要である。

 教員(塾の先生を含めて)は、教育方法論をかなり深く学び研究しておかねばならないが、教育学科以外では、この科目の単位も少なく、教育実習期間も2週間と短い。

 ここ数十年文科省は、大学の教育学科を減らし、教科内容も妙な改変を行っている。

 例を挙げると、小学校で鶴亀算などの代わりに、文字を使う代数(一次方程式など)を取り入れたり、電卓を導入したりしている。
つまりは、深く考えるということよりも、たやすい操作を取り入れている。

 これらはいわゆる専門家の教科審議会の意見を取り入れているのだが、これら専門家の中で実際に小学校や中学校で教えたことがある学者はどのくらいいるのか、はなはだ疑問である。

 これらのことが、ますますイメージを遠ざけていることになる。

 算数数学は、他の教科よりもはるかに小学校から高校を経て研究者の数学まで内容が連なっている。


 小学校の因数分解は、中学高校での因数分解と同じイメージである。

 詳しい説明は後に譲るが、イメージは、「ばらばらのものを四角に並べる。」である。
 並べられたら、因数分解が可能だし、並べることができなければ、因数分解はできない。

 このイメージを具体的に説明できる教員はどのくらいいるだろう。

 親の方たちはいちど学校の先生、塾の先生に聞いてみてほしい。

 
 つづく・・・・・・・・・


 
| top |

Page Top

Calender

<< August 2025 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

Recent Comment

QR Code