2025.07.19 Saturday

冤罪に対する警察・検察・メディアの責任

あれやこれやと思う日々(25年その5)

 昨日今日と冤罪の無罪判決に関する報道がありました。
 長年服役し無罪を勝ち取ったとはいえ、人生の多くを失った方々の無念さは、私の想像をはるかに超えるものでしょう。

 同時に今日のような殺人事件において、真犯人は今もどこかで生きているということもあると思います。

 被害者の人もまたその人生を奪われてしまったのです。
被害者のご家族にとっても納得のいくことではないでしょう。
 警察や検察の責任は、その方々(被害者の家族)に対してもあるのです。
 当然真犯人の追求はなされるべきなのですが、このことに関して、警察も検察も言及することがなく、あまりメディアでも問題として取り上げていないのは何故なのでしょう。
 この点では、事件当時だけではなくその後もメディアの責任はあると思います。
ただ、警察や検察の発表および裁判結果を発表するだけでは、報道機関として、責任を果たしているとは思えません。

 もちろん滋賀県の事件のように、おかしいと思い追跡調査し続けた中日新聞の記者のような報道記者がいることは、大切なことですが、そのような記者が大多数であってほしいものです。

2025.07.19 Saturday

趣味のおもしろさ・・・数独・将棋・切手収集

あれやこれやと思う日々(25年その3)

退職して15年、サモアから帰って13年、最近の日々は、野球と読書と数独と将棋と切手収集、野球に出かけないときはほとんどの時間コンピューターの前に座っていることが多い。
 何をしているかと言えば、野球チームのマネージメント県の連盟との連絡や全国大会の旅館やフライトの手配とその準備としてチームに手配をすること、チームのデーター処理やホームページの作成などなど。

 このうち特に自分にとって意味のあるのは読書よりも将棋と切手収集である。
数独は論理性の問題ではあるが、数学的にはあまり意味を持たない。(関連する"Taking Sudoku Seriously"という本も読んではいるが)。一方将棋は論理性だけではなく、相手の指し手に惑わされないことや、基本二方向から攻めると一方が弱くなり、まけにつながりやすいという「二兎を追う」ことの弱点を知らされたりと、人生にも通じることを学ぶことが多い。

 さらに切手の収集は、知識の宝庫である。日本切手はもちろんだが、アメリカ切手では、我々が通常は習わない独立戦争や南北戦争の詳細なことに出会う。

 先日の4日は、独立記念日であったが、学校で習ったのはそのことだけに近い。切手では例えばベンジャミンフランクリンは、独立にかかわっていた当時フィラデルフィアの郵便局長であったことやそもそもアメリカに人々が移住し始めたころのアメリカの原住民のことなど、切手と関連して調べて分かることがたくさんある。何年か前にディズニーの「ポカホンタス」という映画があったが、それよりもっと早く20代のころにはは彼女のことを知っていたのも切手を集めていたからで、切手をただ集めるだけでは得られない知識を獲得することができる。

 皆さんはツィオルコフシキーとヘルマン・オーベルトという人物が何者か知っていますか。
 ウェルナー・フォン・ブラウンやセルゲイ・コロリョフあたりになると知っている人も増えるでしょうね。

 世界史のなかでも政治家だけではなくいろいろな分野で著名な人々はほぼ切手になっているので、そういう人たちが何をしたかを知るのが切手収集のしていて知ることができ、それがこの趣味の楽しいところである。

 最近は切手を集めている人が少なくなっているようで、少し寂しいなと思っている今日この頃であります。

  (私は「という今日この頃であります。」が口癖だった人のファンです。)

2025.07.19 Saturday

自転車マナーに対する警察の責任と社会の責任

あれやこれやと思う日々(25年その2)

 最近、常に思うのが人々の自転車のマナーの悪さです。

野球の練習や試合に行くときには、高校生の自転車通学や人々が甲子園駅から浜の方の会社まで通勤するのに出会いますが、まずほとんどの人が、「自転車の道路交通法」を知っているように思えません。

 西宮東高校、南高校、今津高校、鳴尾高校の学生など自転車通学を許している学校が、ありきたりのルールしか指導していないと思われます。そもそも学生生徒がどのように走っているのかという実態を把握していない。
 昨今自転車のルールがメディアにも取り上げられ罰則なども報道されていますが、警察や交通安全協会や各都市の教育委員会など指導すべき立場にある機関が、今後も真剣に取り組むのか疑問です。

 というのは、数年前にも自転車通学の女子高生が、夫人に当たって死亡された事故がありましたが、その時点では各機関も指導強化をするような「それなり」のことは、報道されましたが、現状は、まるきり変わらず、「それなり」です。

 通勤に自転車を使う人々や、子供を送り迎えするお母さんたちは、そのような教育を受けていないのが、現状なのです。

 元来、自転車は、道路交通法上自動車扱いですから、歩道は走れないというのが原則ですが、社会の道路事情から、ある条件の下で歩道も走ってよいことになっていますし、一方通行の道でも。自転車は逆に走ってもよいことになっていますが、指導がいきわたっていないがために、どこをどのように走ってもよいというような現在の「惨憺たるありさま」になっているのです。

 だから親たちも「子供の見本になる」ような走り方ができない。
 いつも言いますように、自由にはそれに伴う義務があるのです。様々な面でまだまだ「自由と義務」という民主主義の原則が徹底していない、いい例だと思います。

2025.07.19 Saturday

あれやこれやと思う日々(25年その1)

あれやこれやと思う日々(25年その1)

 トランプ政権になって潜在していたことの証拠がたくさん出現した。単にトランプ個人の人間性ではなく彼の行為がそのことを明確にした。

 それは、情報社会という中でそれにかかわる開拓者の多くが、「今まで言っていたことが単なる〈表向きの理性〉であって〈本音ではない〉ということだ。」

 イーロン・マスクがツイッターを買収し、削除されていたID復活をはじめとする一連のトランプよりの行動が、その顕著なものだが、メタ(FaceBook)のザッカーバーグもトランプにおもねるように、情報の信憑性をチェックすることをやめた。引き続きアマゾンのジェフ・べソスも続き、昨日のニュースでも取り上げられたソフトバンクの孫正義も、「情報の重要性の利点を説きその信憑性を高める。」のではなく、結局は経済的な儲けが彼らの経営思想の中心であることを、はからずもトランプの出現によって露呈した。

 トランプを支援した人々が、今日の現状しか見えていないラストベルトの労働者たちに代表される人たちだけではなく、白人至上主義や、LGBTを支持しない人、女性の権利を認めない人たち、南部や中西部に多い差別主義者だけではないことが、はっきりする。

 これらの人々に共通するのは、「利己主義」である。
世界はまだまだ人権意識が乏しい。これは我々自身の問題である。広く世の中を見て、何が「人として正しいか」を見ていくことこそ、我々が人類として存在する意義であると思う。
 様々な状況や場面で、「自分は利己的な考えに陥っていないか。」を意識していたいものだ。
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